死とは、すべてを手放して透明になることかもしれない と私は思います。
そう思ったのは、2年前に祖父が他界したときです。
筋肉だけが衰えていく難病が発症して、歩くのが難しくなった祖父は、
あっと言う間に寝たきりになってしまいました。
顔の筋肉も動かなくなり、しゃべれなくなりました。
しゃべれなくても、意識ははっきりしているので目からは意思を感じられます。
むしろ、話せないぶん目で語ろうとしていたので、目の光は強くなっていました。
でも状況は確実に死に向かっていて、祖父の体から感じるエネルギーのようなものは
日が経つごとに弱くなっていきました。
日が経つごとに弱くなっていきました。
祖父が弱ってエネルギーを失っていく姿は、
私には祖父が透明になっていくように見えました。
私が祖父の体から感じていたエネルギーは、祖父の「思い」だったのだと思いました。
食べたい、話したい、生きたい...
「思い」とは「欲」でもあります。
祖父は欲を手放して、純粋な存在になっていきました。
絶望も希望もない、求めないし拒まない、すべてを受け入
私はその状態をみて、不謹慎かもしれませんが、美しいと感じました。
そして、最後には美しい透明になれるのだから、たくさん夢をみ て、
成功して失敗をして、色々な感情を知って、キレイで もいいし汚くてもいいから、
生きているときはカラフルで ありたいと思いました。
成功して失敗をして、色々な感情を知って、キレイで
生きているときはカラフルで
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