2015年10月29日木曜日

透明になる



様々な考え方があると思いますが

死とは、すべてを手放して透明になることかもしれない と私は思います。

そう思ったのは、2年前に祖父が他界したときです。


筋肉だけが衰えていく難病が発症して、歩くのが難しくなった祖父は、

あっと言う間に寝たきりになってしまいました。

顔の筋肉も動かなくなり、しゃべれなくなりました。


しゃべれなくても、意識ははっきりしているので目からは意思を感じられます。

むしろ、話せないぶん目で語ろうとしていたので、目の光は強くなっていました。

でも状況は確実に死に向かっていて、祖父の体から感じるエネルギーのようなものは

日が経つごとに弱くなっていきました。


祖父が弱ってエネルギーを失っていく姿は、

私には祖父が透明になっていくように見えました。

私が祖父の体から感じていたエネルギーは、祖父の「思い」だったのだと思いました。

食べたい、話したい、生きたい...


「思い」とは「欲」でもあります。

祖父は欲を手放して、純粋な存在になっていきました。

絶望も希望もない、求めないし拒まない、すべてを受け入れる透き通った状態です。

私はその状態をみて、不謹慎かもしれませんが、美しいと感じました。


そして、最後には美しい透明になれるのだから、たくさん夢をみて、

成功して失敗をして、色々な感情を知って、キレイでもいいし汚くてもいいから、

生きているときはカラフルでありたいと思いました。



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