2015年2月2日月曜日

東京オリンピック / ハイ・レッド・センター『首都圏清掃整理促進運動』

「2020年東京オリンピック開催に向けて」という言葉をたま~に聞きますが...

1960年代から70年代のアートに最も興味がある私が「東京オリンピック」と聞いて

思い出すのは『首都圏清掃整理促進運動』です。


『首都圏清掃整理促進運動』

...東京都の公共政策の一つかな、と思わせる響きだけれども

「ハイ・レッド・センター」というアートグループが行なった

イヴェントのタイトルです。

ちなみにイヴェントとは、ある動作をしてその場所で起こる出来事のすべてを作品とする

芸術の表現形態のひとつ。

(テレビのどっきり番組も、一種のイヴェントといえるのかもしれない)



『首都圏清掃整理促進運動』の様子↓





白衣を着てマスクをつけたメンバーが、

銀座の街でマンホールやアスファルトを磨いています。

シュール&ナンセンス。


なんで掃除?と思うかもしれないけれど、ちゃんと理由があって...

彼らがイヴェントを行なった1964年、

東京オリンピックを前に行政は「街をきれいにしよう」という呼びかけと共に、

ホームレスの強制立ち退きや当時若者のあいだで流行していた「みゆき族」の

取り締まりなどを行なっていました。

国内外に誇れる清潔な街になるために、

ゴミと「異質なもの」を排除する大掃除をしていた東京。

そんな背景から彼らは掃除を題材に選んだんです。


このイヴェントに対して「過剰な取り締まりによる社会統制への反対運動だった」とか

「東京全体に掃除しなくちゃという風潮があったからそれに乗っかっただけだ」とか

様々な解釈がされているようだけれども

私はなんとなく、「道路」という清潔になり得ないものを雑巾で拭くことで、

洗練された素敵な街になろうと頑張っているかっこ悪さ・ダサさを揶揄したのかなと思います。

(でも多分どの解釈も正解。だって芸術に正解を求めるのはナンセンス。

色々な考え方があっていいんです!)

いずれにしろ、当時の東京の状況を客観的に見た結果として

生まれた作品であることは間違いないはず。


この『首都圏清掃整理促進運動』に限らず、

当時のアートは社会の状況や既成の体制・概念を皮肉る傾向にありました。

つまり当時のアーティストは社会を観察する批評家でもあったんです。

ただ無意味に突飛なことをしている訳ではなくて、

批評的な目で社会を観察した上でそれに対する反応として作品をつくっている

...知的でしょう!

一見、笑っちゃうような作品だけれども、その裏にある鋭い社会への視線。

そのギャップがカッコイイと思います。


2020年。また東京でオリンピックが開催されるけれども

整理整頓されて掃除いらずになった現在の東京では、

もう『首都圏清掃整理促進運動』は見れないのだろうなと思うと少し寂しいです。

社会と芸術がぴったりくっつく時代がまたやってきて

ある日突然、イヴェントによって日常が非日常になってしまったら面白いのに。




「ハイ・レッド・センター」:1963年に、高松次郎・赤瀬川原平・中西夏之の芸術家3人が結成した集団。
「みゆき族」:銀座みゆき通りに集まった若者たち。女の子は頭にハンカチ、腰からリボンを垂らし、男の子はアイビールックを気崩した装いをしていた。

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