2015年2月8日日曜日

トルコのエブル / イスタンブール


イスタンブールの映画監督のオフィスにとても美しい作品が飾られていて、

その作品に強烈に惹かれたことをよく覚えています。


それは「エブル」(Ebru)と呼ばれるトルコの伝統的な芸術技法を用いた作品。

私がその時にみた作品はエブルの中でも

フローラルエブル'( Floral ebru / Çiçekli Ebrular )と呼ばれる、

マーブリング模様の上に花を描いた作品でした。







それは、色彩の水の上に花を浮かべたような本当に美しい作品でした。

フローラルエブルをみたのは、もう一年以上も前のこと。

それなのに、まるで昨日のことのように作品の美しさに感動したことを

思い出すことができます。




私は〈美〉を「幸せな気持ちや満たされた気持ちを呼び起こすもの」と定義しています。

イスタンブールでのエブルとの出会いは、今までの私の人生の中で1、2を争う

「美の体験」でした。

おおげさかもしれないけれど、そのくらい心を動かされたんです。




私が感動したフローラルエブル。いくつか作品をご紹介します。
















鮮やかな色が混ざり合っていく一瞬を切り取ったような作品たち。

優雅なうえに活き活きとした生命力を感じます...

何か、私たちの本能に訴えかけるエネルギーを持っている気がする!




実はマーブリング技術はトルコだけのものではなく、古くからアジアや

ヨーロッパでも用いられています。

(日本には「墨流し」という水と墨汁を使った技法があり、

主に和歌を書くのに使う紙や屏風の模様付けなどに用いられていました。

ヨーロッパでは特にイタリアで本の装丁や包装紙などの実用品の装飾にマーブリングが用

いられていたようです)




マーブリングの歴史を調べたところ、製紙の方法を同様に紙の装飾方法も中国で生まれ、

東は日本へ、西は中央アジアからイラン、そしてトルコ、ヨーロッパへ伝わった

というのが一般的な説とされているようです。

しかし、日本でもヨーロッパでも、マーブリングは装飾のための技術としてしか

使われませんでした。

美術作品としてのマーブリング技術が発達したのはトルコだけ。



なぜトルコではアートとしてエブルが発達したのか。



これには理由があって、トルコではオスマントルコ時代に偶像描写が禁止されて

いたため、絵画の代わりに抽象的なエブルがアート作品として広まったそうです。




ちなみにヨーロッパの場合、マーブリングが伝わった頃はちょうど製紙法と

印刷技術が確立して本が人々に広まっていく時期だったことから

マーブリングが装丁に使われるようになったとのこと。

同じ技術でも、その国の文化の状況で使われ方が異なるのが面白い!




↑日本の墨流し


↑イタリアのマーブリング


さて

どのようにエブルは制作されるのか。




マーブリングがヨーロッパに伝わったきっかけのひとつと言われている書、

『自然誌』(原題:Sylva sylvarum/1627)のなかでイギリスの哲学者

フランシス・ベーコンはエブル制作についてこう書いています。




「トルコ人の紙のデザインに関して、我々が行なわないような素晴らしい美術がある。

多様な色を使って油絵の具を作り、それらを血管のように水のうえにたらし、

それから絵具を軽く動かしてから紙につけ、髪に大理石のような模様を写し取るのだ」




そして、これがエブル制作の様子を撮影した映像↓

 

たしかに血管のように細く繊細な色の線を操っています。

絵の具に牛の胆汁を混ぜているため、色が混ざらず水に浮くそうです。

色が模様を作り出していく様子は見ていてワクワクします :)




トルコでのエブルのアートへの応用は、現代でも続いています。




これは伝統的なエブルとコンテンポラリーダンスを組み合わせたショーです。

流れるようなマーブリングとダンサーの動きとシルエット、

音楽をリンクさせて一つの世界を作っています。

革新は伝統から生まれるんだなとこのショーを見て思いました。




偶然性と高度な技術のコラボレーションによって生まれるエブル。

制作過程もアートとして成り立つエブル。

アイデアしだいで表現の幅を広げることができそうです。




エブル制作をしてみたいと思い調べたところ、

新宿のトルコ文化センターで体験ができるようです。

ぜひ挑戦してみたい!


イスラム歴史文化芸術センター:http://www.ircica.org/
エブル会館:http://www.ebristan.com/
エブルワークショップ団体:http://www.ebrusitesi.com/
トルコ文化センター:http://www.turkeycenter.co.jp/

2015年2月2日月曜日

東京オリンピック / ハイ・レッド・センター『首都圏清掃整理促進運動』

「2020年東京オリンピック開催に向けて」という言葉をたま~に聞きますが...

1960年代から70年代のアートに最も興味がある私が「東京オリンピック」と聞いて

思い出すのは『首都圏清掃整理促進運動』です。


『首都圏清掃整理促進運動』

...東京都の公共政策の一つかな、と思わせる響きだけれども

「ハイ・レッド・センター」というアートグループが行なった

イヴェントのタイトルです。

ちなみにイヴェントとは、ある動作をしてその場所で起こる出来事のすべてを作品とする

芸術の表現形態のひとつ。

(テレビのどっきり番組も、一種のイヴェントといえるのかもしれない)



『首都圏清掃整理促進運動』の様子↓





白衣を着てマスクをつけたメンバーが、

銀座の街でマンホールやアスファルトを磨いています。

シュール&ナンセンス。


なんで掃除?と思うかもしれないけれど、ちゃんと理由があって...

彼らがイヴェントを行なった1964年、

東京オリンピックを前に行政は「街をきれいにしよう」という呼びかけと共に、

ホームレスの強制立ち退きや当時若者のあいだで流行していた「みゆき族」の

取り締まりなどを行なっていました。

国内外に誇れる清潔な街になるために、

ゴミと「異質なもの」を排除する大掃除をしていた東京。

そんな背景から彼らは掃除を題材に選んだんです。


このイヴェントに対して「過剰な取り締まりによる社会統制への反対運動だった」とか

「東京全体に掃除しなくちゃという風潮があったからそれに乗っかっただけだ」とか

様々な解釈がされているようだけれども

私はなんとなく、「道路」という清潔になり得ないものを雑巾で拭くことで、

洗練された素敵な街になろうと頑張っているかっこ悪さ・ダサさを揶揄したのかなと思います。

(でも多分どの解釈も正解。だって芸術に正解を求めるのはナンセンス。

色々な考え方があっていいんです!)

いずれにしろ、当時の東京の状況を客観的に見た結果として

生まれた作品であることは間違いないはず。


この『首都圏清掃整理促進運動』に限らず、

当時のアートは社会の状況や既成の体制・概念を皮肉る傾向にありました。

つまり当時のアーティストは社会を観察する批評家でもあったんです。

ただ無意味に突飛なことをしている訳ではなくて、

批評的な目で社会を観察した上でそれに対する反応として作品をつくっている

...知的でしょう!

一見、笑っちゃうような作品だけれども、その裏にある鋭い社会への視線。

そのギャップがカッコイイと思います。


2020年。また東京でオリンピックが開催されるけれども

整理整頓されて掃除いらずになった現在の東京では、

もう『首都圏清掃整理促進運動』は見れないのだろうなと思うと少し寂しいです。

社会と芸術がぴったりくっつく時代がまたやってきて

ある日突然、イヴェントによって日常が非日常になってしまったら面白いのに。




「ハイ・レッド・センター」:1963年に、高松次郎・赤瀬川原平・中西夏之の芸術家3人が結成した集団。
「みゆき族」:銀座みゆき通りに集まった若者たち。女の子は頭にハンカチ、腰からリボンを垂らし、男の子はアイビールックを気崩した装いをしていた。