2015年11月28日土曜日

ロム・ヴィラセラン展 -庭園の想像力- / 加島美術

京橋のアートギャラリー 加島美術で開催されている「ロム・ヴィラセラン展」(2015.11.14-28)をみてきました。

ロム・ヴィラセラン(Rom・Villaseran)は、フィリピン人の現代美術作家です。
ファインアートだけでなく、CDや書籍のデザインも手がける気鋭のアーティスト。



キャンバスにアクションペインティングの手法でアクリル絵の具をのせて雰囲気をつくり、
そこに繊細なドローイングでイメージを描き込み、幻想的な世界観をつくりだしていました。





流れたりかすれたり、ぽたぽたと落ちたり。
偶発性を活かした絵の具と緻密なタッチの描写が組み合わさることで生まれる、迫力がありながらも繊細な雰囲気。






海の中にもみえるし、違う惑星の光景かなとも思える... 。
映画のワンシーンを切り取ったような、動きを感じさせる作品たち。
イメージを掻き立てられました。


加島美術での展示は今日が最終日でしたが、
これからの活躍が注目されているアーティストなので、作品をみる機会が増えるかも。

Rom・Villaseran : http://rom.villaseran.com





Daughter 聴いてきました。


新木場スタジオコーストで開催された音楽イベント
「Hostess Club Weekender」(2015.11.22-23) に行って参りました。

私が行った22日の参加アーティストは全4組。
そのうちのひとつがイギリスの3ピースバンド Daughter 。私が大好きなバンドです。





真ん中の女性がボーカル・ギターのエレナ、左がドラム・パーカッションのレミ、右がギターのイゴールです。2010年にエレナを中心に結成されてから、すぐに有名レーベルに見出されて瞬く間に人気バンドになりました。

今回のイベントで初めて生演奏を聴くことができたのですが、演奏も歌もとっても安定していて実力を感じました。(私の後ろにいた見知らぬおじさまも「うまい...」とうなっていました)
3人の落ち着いた佇まいも素敵。とても自分と同年代とは思えなかったです。



Daughter の音楽の特徴は、エモーショナルで詩的な歌詞とそれを歌うエレナの繊細な声、聴く人を包むような残響です。

Daughterの歌詞はエレナが書いています。
去りゆく恋人への思い、傷ついた心...。
彼女の書く詩のキーワードは「喪失」だと思います。
それなのに聴く人に癒しや希望を感じさせるのは、失うことを受け入れる雰囲気があるから。
何というか歌詞に「悟り感」があるんです。人生ってこういうものよ、という。
「失うことは美しいこと」そう思わせるような力すらあるのですが、これは彼女の美しく詩的な表現によるものだと思います。

そして、聴く人が自分なりの解釈をできるような曖昧さがあるのも特徴。
自分の心を投影しやすいので、多くの人の共感を誘います。

残響(音が響くかんじ)もまた、Daughter の世界観作りには欠かせないポイント。
エレナの少しかすれたささやくような歌声を響かせることで音楽のデリケートさが増し、歌詞の切なさがより私たちの心に伝わるようになっています。


Daughterの曲の中でも癒し効果の高い「Medicine」↓
残響ばっちり効いています。





壮大で神々しい雰囲気がどことなくエンヤを思い出させるなあと思っていたら、やはりアイルランド音楽の影響を受けているそう。
アイルランド音楽の神聖な雰囲気が好きな方、切ないアンニュイ雰囲気が好きな方は
Daughter 気にいると思います。

ぜひチェックしてみてください :)

Daughter : http://ohdaughter.com


2015年11月15日日曜日

「マリー・ローランサン展」と「ニキ・ド・サンファル展」


府中市美術館で開催中の「マリー・ローランサン展」と、
国立新美術館で開催中の「ニキ・ド・サンファル展」を取材させていただきました。
どちらもフランスの女性アーティストの展示です。

レビューはこちら
 マリー・ローランサン展「かわいいを追及したパリジェンヌ」
http://claudecour.jp/marielaurencin.html
 ニキ・ド・サンファル展「それでも私たちは強く生きることができる」
http://claudecour.jp/niki.html


パステルカラーをつかい、「かわいい」をテーマに美しい作品を制作し続けたローランサン。
鮮やかな色彩をつかい、自身の心の葛藤や社会への不満を表現した力強い作品を制作し続けたニキ。

2人の作風の違いには、生きた時代背景が違うということが大きく影響していると思いますが
(ローランサンの時代は退廃的で優美な雰囲気が、
ニキの時代はカウンターカルチャーが流行っていました)
それぞれの生き方や考え方の違いも見えてきたのが、面白かったです。
特に男性に対する考えの違い。
これが、それぞれの作品に大きな影響を与えていて、
2人の作風の違いを生み出している要因のひとつでもあるように思いました。

男性と言えば「父親」。
ローランサンとニキの人生の始まりをみると、
2人とも父親との関係で問題を抱えています。

ローランサンは私生児として生まれ、
父親のことを「時々やってくる人」としか思っていなかったそうです。
ニキは父親から性的虐待を受け、複雑な感情を抱いていたそう。

ローランサンは男性をほとんど描きませんでした。
男性から肖像画の依頼が来ても、高額でしぶしぶ引き受けるという感じだったようです。

徹底して自分が美しいと思う世界を描いたローランサン。
男性を描きたがらないということは、彼女にとって男性は描くべき美しいものではない、
彼女の表現したい理想の世界には男性はいない、ということだったのではないかと思います。
その原因は、父親との絆の薄さだったのではないでしょうか。
父親のいない環境でレースやリボンといった女性らしいもので遊んで過ごした子供時代が、
ローランサンの表現の土台となっているようです。


ニキは男性をテーマに作品を制作しました。
ニキの作品のなかで、男性はたびたび「怪獣」の姿で登場します。
怪獣からイメージするものといえば「破壊」や「暴力」です。
しかし、怪獣の気持ちを表現した作品(《モンスターのハート》)も制作していることから、
男性を理解すべき存在として捉えていたことがわかります。

優しい父と乱暴な父を知っていたニキは、
男性(人間、と言ってもいいかもしれない)の複雑さをよく理解していました。
そして、表現するべき大切なテーマとして男性をとらえていました。


《モンスターのハート》をみたとき「ニキは人間についてよく考えたんだろうなあ」と思い、
ジンとしました。
作品には作家の生き方や考え方が表われています。
そして作品から作家自身の姿が見えたとき、なんともうれしい気持ちになります。
この気持ちは芸術鑑賞を通してでしか味わえない気持ちで、
この気持ちを味わうことは、芸術鑑賞のひとつの目的になるのではないかと思います。


2015年11月2日月曜日

きらめくブルガリの世界 / アート オブ ブルガリ



上野にある東京国立博物館 表慶館で開催中の
「アート オブ ブルガリ」展に行ってきました。
130年を超える歴史を持つブルガリのデザインの変遷を、
時代ごとに紹介しています。

館内は撮影禁止だったので、写真は外観のみ。
まるでブルガリのショップのようなエントランスでした。


館内に入ってすぐのホールの円い天井に、
ブルガリのジュエリーをイメージした映像が映し出されていました。
万華鏡のように動く美しい映像を眺めているだけで、贅沢な気分に。
そこですっかりブルガリの世界に引き込まれてしまいました。

館内には、約250点ものきらめく作品たち。
どこを見てもたっぷりと宝石(正確にはジェムとよばれる半貴石)を
施したアイテムが並んでいて、ジュエリーでお腹いっぱいになる
贅沢な感覚を味わえます。
 
思わずニヤニヤしてしまいました。


もともと銀細工からスタートしたブルガリは
映画スターたちから愛されて、その地位を築いたそう。
 
展示内容も、エリザベス・テイラーのコレクションの紹介や、
ブルガリの作品が登場する映画のシーンを編集した映像など
映画界とのつながりを感じさせるものになっています。

ブルガリの作品と共にそれを身につけた映画女優たちのイメージが
展示されているのですが、それがまた美しくて。
美しい女性が身につけることでジュエリーは
さらに輝くのだと思いました。


数ある作品のなかでも、私が気に入ったのは
ファンシーグリーンダイヤモンドという石を使ったブローチ。
 
ぜひ、お気に入りの作品を見つけてみてください。



「アート オブ ブルガリ」









2015年11月1日日曜日



今年のお正月に、友達に送るように作ったグリーティングイメージ。

2015年10月31日土曜日

ロボットアイコン


友達がロボットのアイコンが欲しいとのことで作りました。
宇宙のイメージをつかうと、なんだか壮大な雰囲気に。


ついでに、年賀状に使えそうなのも ↓








2015年10月29日木曜日

透明になる



様々な考え方があると思いますが

死とは、すべてを手放して透明になることかもしれない と私は思います。

そう思ったのは、2年前に祖父が他界したときです。


筋肉だけが衰えていく難病が発症して、歩くのが難しくなった祖父は、

あっと言う間に寝たきりになってしまいました。

顔の筋肉も動かなくなり、しゃべれなくなりました。


しゃべれなくても、意識ははっきりしているので目からは意思を感じられます。

むしろ、話せないぶん目で語ろうとしていたので、目の光は強くなっていました。

でも状況は確実に死に向かっていて、祖父の体から感じるエネルギーのようなものは

日が経つごとに弱くなっていきました。


祖父が弱ってエネルギーを失っていく姿は、

私には祖父が透明になっていくように見えました。

私が祖父の体から感じていたエネルギーは、祖父の「思い」だったのだと思いました。

食べたい、話したい、生きたい...


「思い」とは「欲」でもあります。

祖父は欲を手放して、純粋な存在になっていきました。

絶望も希望もない、求めないし拒まない、すべてを受け入れる透き通った状態です。

私はその状態をみて、不謹慎かもしれませんが、美しいと感じました。


そして、最後には美しい透明になれるのだから、たくさん夢をみて、

成功して失敗をして、色々な感情を知って、キレイでもいいし汚くてもいいから、

生きているときはカラフルでありたいと思いました。



異国で浮遊する心 / 『ロスト・イン・トランスレーション』




私が最も好きな映画は、

ソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』です。


カメラマンの夫について東京に来た主人公のシャーロット(スカーレット・ヨハンソン)

まだ新婚だというのにすでに結婚生活に不安を抱いてしまい、

なんとなく将来に希望を見出せない状態。

夫が仕事をしているあいだ、

もやもやした気持ちと共に 異国の街《トウキョウ》をさまよっていた。

ある夜、彼女は、同じく将来に希望を見出せない中年の俳優ボブ・ハリス(ビル・マーレイ)

とホテルのバーで知り合う。

シャーロットとボブは、シャーロットの日本の友人たちと共に東京の夜で遊び、

お互いに抱えるむなしさを共有し、友情を深めていく...


というお話。


この映画の魅力はいくつもあるのですが、

中でもとくに、シャーロットとボブの存在の不確かさに惹かれます。


いつまでも気持ちが晴れない2人は、着地点がわからずに浮遊しているように見えます。

2人がもともと抱えている満たされない気持ちに、

言葉がわからない異国の地にいるという不安感が加わって

満たされない気持ちをさらに強く感じるようになってしまい、

もうどこに行けばいいのかわからないよ... という感じです。


「あ〜、不安だよね。わかるわかる」って、観るたびに思います。


2人が抱えている、どこに着地すればいいのかわからない浮遊した気持ちって、

誰もが持っているものだと思います。

みんな、自分の価値観で一番大切にするものを決めたり、

物事に優先順位をつけることで、自分なりにひとまずの心のあり方を

決めているけれども、心のあり方が決められないと、

私たちの心はふわふわと浮遊し続けるのではないかと思います。


異国の文化に触れて価値観が揺さぶられた二人の心は、

どこに行けばいいのかわからなくなってしまって、

ロスト(迷子)してしまうわけですが、

観ている私たちが不安にならないのは、

シャーロットとボブが、寄り添いながら迷子になっているから。


「人の居場所なんて、誰かの胸のなかにしかない」

という言葉が、これまた私が大好きな小説であり映画にもなっている

『冷静と情熱のあいだ』にでてきます。


東京で過ごす時間のなかで、シャーロットとボブはお互いに、

相手の胸の中を自分の居場所にしていたのではないでしょうか。

それはもう、友情ではなく恋愛だったと思います。

ラブストーリーだったから、ラストシーンがあんなにも切なく感じるのだと思います。


それぞれの生活に戻ったあとも、東京での冒険を思い出すたびに

2人の心はお互いの胸の中に飛んで行くのでしょう。


『ロスト・イン・トランスレーション』観ていないかたは、ぜひ。



早稲田松竹での上映を観に行きました。
同時上映作品だった『her / 世界でひとつの彼女』は、ソフィア・コッポラの旦那さんである
スパイク・ジョーンズ監督の作品です。こちらも良かった、泣きました。


旅の適齢期について / 沢木耕太郎さん『旅する力』






沢木耕太郎さんの『旅する力』というエッセイを読んでいたら、「旅の適齢期は26歳だ」という話がでてきました。

旅をするのに必要な経験と未経験を良いバランスで併せ持っている年齢が26歳くらいだそう..

それを読んで、その通りだ!と思いました。


旅の醍醐味は新しいことに遭遇して感動すること。

純粋に感動するには、知らないこと、未経験のことがなくてはいけない。

でも、若ければいいというわけでもない。感動するには十分に育った感受性が必要だから。

今のうちにたっぷり冒険して感性を育てておけば、

これから先の人生を心豊かに生きることができると思う。


20代、私と同世代のみなさんが色んなところに行けばいいなあと思ってます。

(写真はうちの猫です)

2015年5月16日土曜日

人生は円のようなものである / 香川県直島



' Life is like a circle '
A woman who is cafe owner said to me so.
What she said made my mind clear.



数年前の夏、まだ学生だった頃。

「あ、旅行しよう」と思い立って香川県の直島に行きました。

一泊二日の一人旅でした。

フェリーに揺られて海を渡り、

港にポツンと置かれたあの有名なカボチャの前で立ち止まって、

汗を拭きながらいくつかの美術館を巡り、

偶然仲良くなった、同じく一人旅で来ていた女の子と夜の海岸を散歩をして

「お互いこれから色々がんばろうね」と言って別れ、

民家を改装したカフェの窓際の席で、海を見ながらぼうっとして、

それから、ものすごく慌ててあの銭湯に入って(入浴時間2分程度!)

濡れた髪のまま帰りのフェリーに飛び乗って、帰った。

ざっくりざっくりまとめるとこんな感じの旅行でした。





帰りのフェリーのデッキから見た、

泡立つ海と小さくなっていく島の光景は今でもはっきり覚えています。


それと、カフェの女性オーナーの言葉!これもとてもよく覚えています。


「人生はぐるーっとつながっている円のようなもの。

右に行ったり左に行ったりしても、結局、最後にはスタートに戻ってくる」


なぜ、彼女がこの言葉を私に言ったのか今はもう忘れてしまいました。

たぶん、将来のことで迷っていた私が進路相談のようなことをしたのだろうと思います・・・


都会の雰囲気に疲れて、大阪のカフェを辞めて島に来たオーナー。

きっと、今の私と同じ位の年だったんじゃないかなあ



ともかく

オーナーの言葉を聞いたとき、

「そうか、あれこれ悩んでもスタートに戻ってくるのか。

じゃあ、最初に目指していた夢を追いかけるしかないな」

とその時抱えていたもやもやがすんなり解決しました。

「人生は円」説は、今でも時々、私の心を支えています。







旅行に限らず昔のことを思い出すとき、

大抵の出来事は淡くぼやけたフィルターがかかったような映像でみえてきます。

きっと時間が経てば経つほど、思い出はぼやけていってしまう。

でも、周りがぼやけていくからこそ、

本当に自分にとって大切だった瞬間が鮮やかに思い出されるようになる。

何年経ってもぼやけずに、ふとした瞬間に鮮やかに思い出されること。

それに出会いたくて、旅行に行きたくなるんだと思います。







△ちなみに「あの有名なカボチャ」とは草間彌生さんの作品。

「あの銭湯」とは、大竹伸朗さんの『I Love 湯』のことです。

銭湯、今度いったときはゆっくり入りたいです。





直島観光情報 : http://www.naoshima.net/
ベネッセアートサイト直島 : http://www.benesse-artsite.jp/

2015年2月8日日曜日

トルコのエブル / イスタンブール


イスタンブールの映画監督のオフィスにとても美しい作品が飾られていて、

その作品に強烈に惹かれたことをよく覚えています。


それは「エブル」(Ebru)と呼ばれるトルコの伝統的な芸術技法を用いた作品。

私がその時にみた作品はエブルの中でも

フローラルエブル'( Floral ebru / Çiçekli Ebrular )と呼ばれる、

マーブリング模様の上に花を描いた作品でした。







それは、色彩の水の上に花を浮かべたような本当に美しい作品でした。

フローラルエブルをみたのは、もう一年以上も前のこと。

それなのに、まるで昨日のことのように作品の美しさに感動したことを

思い出すことができます。




私は〈美〉を「幸せな気持ちや満たされた気持ちを呼び起こすもの」と定義しています。

イスタンブールでのエブルとの出会いは、今までの私の人生の中で1、2を争う

「美の体験」でした。

おおげさかもしれないけれど、そのくらい心を動かされたんです。




私が感動したフローラルエブル。いくつか作品をご紹介します。
















鮮やかな色が混ざり合っていく一瞬を切り取ったような作品たち。

優雅なうえに活き活きとした生命力を感じます...

何か、私たちの本能に訴えかけるエネルギーを持っている気がする!




実はマーブリング技術はトルコだけのものではなく、古くからアジアや

ヨーロッパでも用いられています。

(日本には「墨流し」という水と墨汁を使った技法があり、

主に和歌を書くのに使う紙や屏風の模様付けなどに用いられていました。

ヨーロッパでは特にイタリアで本の装丁や包装紙などの実用品の装飾にマーブリングが用

いられていたようです)




マーブリングの歴史を調べたところ、製紙の方法を同様に紙の装飾方法も中国で生まれ、

東は日本へ、西は中央アジアからイラン、そしてトルコ、ヨーロッパへ伝わった

というのが一般的な説とされているようです。

しかし、日本でもヨーロッパでも、マーブリングは装飾のための技術としてしか

使われませんでした。

美術作品としてのマーブリング技術が発達したのはトルコだけ。



なぜトルコではアートとしてエブルが発達したのか。



これには理由があって、トルコではオスマントルコ時代に偶像描写が禁止されて

いたため、絵画の代わりに抽象的なエブルがアート作品として広まったそうです。




ちなみにヨーロッパの場合、マーブリングが伝わった頃はちょうど製紙法と

印刷技術が確立して本が人々に広まっていく時期だったことから

マーブリングが装丁に使われるようになったとのこと。

同じ技術でも、その国の文化の状況で使われ方が異なるのが面白い!




↑日本の墨流し


↑イタリアのマーブリング


さて

どのようにエブルは制作されるのか。




マーブリングがヨーロッパに伝わったきっかけのひとつと言われている書、

『自然誌』(原題:Sylva sylvarum/1627)のなかでイギリスの哲学者

フランシス・ベーコンはエブル制作についてこう書いています。




「トルコ人の紙のデザインに関して、我々が行なわないような素晴らしい美術がある。

多様な色を使って油絵の具を作り、それらを血管のように水のうえにたらし、

それから絵具を軽く動かしてから紙につけ、髪に大理石のような模様を写し取るのだ」




そして、これがエブル制作の様子を撮影した映像↓

 

たしかに血管のように細く繊細な色の線を操っています。

絵の具に牛の胆汁を混ぜているため、色が混ざらず水に浮くそうです。

色が模様を作り出していく様子は見ていてワクワクします :)




トルコでのエブルのアートへの応用は、現代でも続いています。




これは伝統的なエブルとコンテンポラリーダンスを組み合わせたショーです。

流れるようなマーブリングとダンサーの動きとシルエット、

音楽をリンクさせて一つの世界を作っています。

革新は伝統から生まれるんだなとこのショーを見て思いました。




偶然性と高度な技術のコラボレーションによって生まれるエブル。

制作過程もアートとして成り立つエブル。

アイデアしだいで表現の幅を広げることができそうです。




エブル制作をしてみたいと思い調べたところ、

新宿のトルコ文化センターで体験ができるようです。

ぜひ挑戦してみたい!


イスラム歴史文化芸術センター:http://www.ircica.org/
エブル会館:http://www.ebristan.com/
エブルワークショップ団体:http://www.ebrusitesi.com/
トルコ文化センター:http://www.turkeycenter.co.jp/

2015年2月2日月曜日

東京オリンピック / ハイ・レッド・センター『首都圏清掃整理促進運動』

「2020年東京オリンピック開催に向けて」という言葉をたま~に聞きますが...

1960年代から70年代のアートに最も興味がある私が「東京オリンピック」と聞いて

思い出すのは『首都圏清掃整理促進運動』です。


『首都圏清掃整理促進運動』

...東京都の公共政策の一つかな、と思わせる響きだけれども

「ハイ・レッド・センター」というアートグループが行なった

イヴェントのタイトルです。

ちなみにイヴェントとは、ある動作をしてその場所で起こる出来事のすべてを作品とする

芸術の表現形態のひとつ。

(テレビのどっきり番組も、一種のイヴェントといえるのかもしれない)



『首都圏清掃整理促進運動』の様子↓





白衣を着てマスクをつけたメンバーが、

銀座の街でマンホールやアスファルトを磨いています。

シュール&ナンセンス。


なんで掃除?と思うかもしれないけれど、ちゃんと理由があって...

彼らがイヴェントを行なった1964年、

東京オリンピックを前に行政は「街をきれいにしよう」という呼びかけと共に、

ホームレスの強制立ち退きや当時若者のあいだで流行していた「みゆき族」の

取り締まりなどを行なっていました。

国内外に誇れる清潔な街になるために、

ゴミと「異質なもの」を排除する大掃除をしていた東京。

そんな背景から彼らは掃除を題材に選んだんです。


このイヴェントに対して「過剰な取り締まりによる社会統制への反対運動だった」とか

「東京全体に掃除しなくちゃという風潮があったからそれに乗っかっただけだ」とか

様々な解釈がされているようだけれども

私はなんとなく、「道路」という清潔になり得ないものを雑巾で拭くことで、

洗練された素敵な街になろうと頑張っているかっこ悪さ・ダサさを揶揄したのかなと思います。

(でも多分どの解釈も正解。だって芸術に正解を求めるのはナンセンス。

色々な考え方があっていいんです!)

いずれにしろ、当時の東京の状況を客観的に見た結果として

生まれた作品であることは間違いないはず。


この『首都圏清掃整理促進運動』に限らず、

当時のアートは社会の状況や既成の体制・概念を皮肉る傾向にありました。

つまり当時のアーティストは社会を観察する批評家でもあったんです。

ただ無意味に突飛なことをしている訳ではなくて、

批評的な目で社会を観察した上でそれに対する反応として作品をつくっている

...知的でしょう!

一見、笑っちゃうような作品だけれども、その裏にある鋭い社会への視線。

そのギャップがカッコイイと思います。


2020年。また東京でオリンピックが開催されるけれども

整理整頓されて掃除いらずになった現在の東京では、

もう『首都圏清掃整理促進運動』は見れないのだろうなと思うと少し寂しいです。

社会と芸術がぴったりくっつく時代がまたやってきて

ある日突然、イヴェントによって日常が非日常になってしまったら面白いのに。




「ハイ・レッド・センター」:1963年に、高松次郎・赤瀬川原平・中西夏之の芸術家3人が結成した集団。
「みゆき族」:銀座みゆき通りに集まった若者たち。女の子は頭にハンカチ、腰からリボンを垂らし、男の子はアイビールックを気崩した装いをしていた。

2015年1月19日月曜日

価値のあるものを守る仕事 / 駒込 東洋文庫

ある日曜日。

思い立って、駒込にある東洋学の専門図書館「東洋文庫」に行きました。


総蔵書数95万点。そのうち5件が国宝。

この蔵書のベースをつくったのが、「タイムズ」特派員の後に中国の政治顧問を務めた

オーストラリア人のジョージ・アネスト・モリソン。

彼が中国滞在中に収集した中国についての文献のコレクションを

三菱財閥の岩崎久弥が買い取ったのが、

東洋文庫の始まりだそうです。




それにしてもこの図書館、本好きな人はぜひ行くべきです。

なぜなら夢のような光景を見ることができるから...↓









『美女と野獣』に出てくる図書室の様な空間。床から天井まで本がびっしり。

図書室内に置かれたソファに座って本たちを眺めれば、心が落ち着くこと間違いなし。


「価値あるものを収集して保管することは、現代に生きる私たちの義務だ」

博物館学を勉強しているときに聞いたこの言葉を、

整然と棚に収まっている本たちを見ながら思い出しました。

美術作品もそうだけれども、

特に本って出版された時代の文化や思想がぎゅっと詰まっている 大切な大切な情報源。

本を守ることは、歴史を守ることでもある。

書架を前にこの蔵書を守ってきた方々に敬意の念を抱きました...

古いものを守る仕事って素敵。



図書館併設のミュージアムでは、東洋学に関する展示を楽しむことができます。

私が行った時に開催されていたのは、イスラム展。

イスラム教の誕生や信仰のあり方などを貴重な史料を通して学ぶことができました。

コンパクトなのに中身が濃く、しかもわかりやすい展示内容だったのでおすすめ。

2015年1月1日木曜日

あけましておめでとうございます


2015年、初ドローイング

すべてが幸せで平和な方向に向かっていきますように...という思いを込めて。


今年は特に〝信じる〟という行為が大切になってくる気がします。


どんな状況でも、自分の幸せを信じる。

自分の周りの人たちを信用する。


きっと今年も大変なことが色々起こるのだと思う。個人的にも、世界的にも。

それを乗り越えるためにも、

強く前向きな気持ちを持っていなければならないように感じます。

私たちを取り巻く色々なことの方向性を決めているのは、

私たちの思いや願いだと思うから。



個人的には今年は勉強の年にしたいです。

たくさん本を読んで、たくさん映画を観て、音楽を聴いて...吸収・吸収・吸収。


今年もどうぞよろしくお願いいたします:)